【礼拝説教】2020年12月20日「泊まる場所がなかった」
聖書―ルカによる福音書2章1~20節
(はじめに)
今年もクリスマスを迎えました。年末のこの時期はいつもの年ならば、大変賑やかになりますが、今年は新型コロナのこともあり、静かなクリスマスを迎えました。聖書に書かれているクリスマス、二千年前の世界で最初のクリスマスも静かなクリスマスであったと思います。私たちの心の耳を聖書の言葉に傾けて、クリスマスの出来事を聴いていきましょう。
(聖書から)
ルカによる福音書2章には、救い主イエスさまがお生まれになった時の様子が書かれています。ヨセフとマリアの夫婦はガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ向かいます。それは住民登録のためでした。ヨセフはイスラエルの王ダビデの血筋で、ダビデの出身の町ベツレヘムへ行かなければなりません。この時、妻マリアは身ごもっていた、ということですから、それはどんなに大変な旅であったでしょうか。小さな命を授かった夫婦でしたが、その命を大切に守りながら、一歩一歩、歩みを進めていくという旅であったと思います。
ラーゲルレーヴというスウェーデンの作家の書いた『ともしび』という作品があります。主人公のラニエロが聖地エルサレムからイタリアのフィレンツェまでの長い距離を小さなともし火を消さないように旅をしていく。その小さなともし火を守ることによって、自分自身が強くされていくという話です。私が牧師の準備のために神学校に在学していた時、同じ神学生の友人が『ともしび』の絵本を持っていまして、自分は子供たちにこんなふうに話しているのだ、と言って、私に聞かせてくれたことを思い出します。小さなともし火が消えないように、そのために大変な苦労をする様子を分かりやすく、身振り手振りを交えて聞かせてくれました。その話を聞きながら、ヨセフとマリアの旅の様子を思い浮かべました。
皆さんもそれぞれに小さなともし火をお持ちではないかと思います。小さなともし火、それは自分にとって、守るべき存在ということです。ある方にとっては、自分のお子さんでしょう。またある方にとっては、病にある家族のことでしょう。その命を守るために、皆さんは最善を尽くしておられるのではないかと思います。その命を守る。それは言葉を換えて言うなら、愛するということ、大切にするということです。
さて、ヨセフとマリアはベツレヘムに到着しました。その時のことがこのように書かれています。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
ベツレヘムでイエスさまはお生まれになったことが書かれています。「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」。イエスさまは飼い葉桶に寝かされていた、というのです。飼い葉桶というのは、家畜小屋の馬や牛などの餌を入れる箱のことです。なぜ、イエスさまはそんなところに寝かされていたかというと、こう書いてあります。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」。
クリスマス・ページェント、イエスさまの降誕劇などでは、ヨセフが身重のマリアを連れて泊めてくれる宿屋を訪ね歩く場面が出てきます。宿屋の主人はこう言います。「あいにく宿は満員です。別の宿を探してください」。そして、ヨセフとマリアは幾つもの宿屋を訪ね歩きますが、どこも空いていません。ある宿屋では、こう言われます。「宿は空いていませんが、裏の家畜小屋なら空いていますよ」。そこでようやくこの夫婦は家畜小屋に泊まることになった、ということです。
「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」。泊まる場所、居場所のない。イエスさまがこの世においでになった出発点です。イエスさまは救い主だ!ユダヤ人の王だ!と歓迎されて大きな御殿のようなところで生まれたのではありませんでした。パウロはイエスさまについてこのように書いています(二コリント8章9節)。
8:9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
貧しさの中においでになった救い主ということが語られています。そして、この後には、羊飼いの話が続きます。
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた、ということです。羊飼いについて、貧しい生活の人たちだった、と言われます。そういう彼らに主の天使が近づいた。そして、主の栄光が周りを照らした、というのです。
その時、羊飼いたちはどうしたのでしょう。「彼らは非常に恐れた」と書いてあります。羊飼いたちは近づいてきたのが神さまの天使であるとか、神さまの栄光が周りを照らした、ということを分かっていたのでしょうか?いったい何が起こったのだろうか?と思って恐れたのかもしれません。私たちにもこういうことは度々あると思うのです。いったい何が起こったのだろうか?分からないと私たちは恐れます。
羊飼いたちは分からないまま、ほったらかしにはされませんでした。天使がちゃんと説明しています。その説明をもう一度、読んでみます。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。
天使は大きな喜びを告げる、と言っています。それも民全体に与えられる大きな喜びです。その大きな喜びというのは、11節にあります「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」ということです。羊飼いたちは、この私たちのために救い主がお生まれになったのですか!と驚いている様子が想像できます。
何が起こったのか分からない羊飼いたちに天使が説明します。あなたがたのために救い主がお生まれになりました。天使は今、私たちにも説明しているのではないでしょうか。あなたがたのために救い主がお生まれになりました。羊飼いたちのために、そして、私たちのために、救い主がお生まれになりました。
天使は、そのしるしは「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」であるとも言います。それに続いて、天使と天の大軍の神さまへの賛美があった、ということです。
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
この賛美を羊飼いたちはどんな思いで聞いたでしょうか。この賛美の中に「御心に適う人」とあります。それは神さまのお心に適う人ということです。皆さんは、自分自身は神さまのお心に適う人だと思いますか?羊飼いたちは「ああ、これは私たちのことではないな。神さまのおきてを守り、立派に生きているユダヤの指導者たち、律法学者たちのことかな?」と思ったでしょうか。しかし、この後の羊飼いたちの様子はこのようなものでした。
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
「天使たちは私たちにあなたがたのために救い主がお生まれになった、と言った。すると、神さまのお心に適う人って、自分たちとは無関係のことではないんじゃないか。私たちが神さまのお心に適う人として生きていくことができるように、救い主を送ってくださったんじゃないか?」私は羊飼いたちがそんなことを考えていたのではないかと思うのです。だから、喜んでこう言ったのです。「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」。私たちのために来てくださったイエスさま、神さまは私たちを愛しておられる。そのしるしがイエスさまなのです。
(むすび)
羊飼いたちは救い主に会うことができました。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
私たちのための救い主!彼らはそのことを信じ、喜びに満たされ、天使が話してくれたこと、私たちのための救い主を人々に知らせたのです。17、18節には、その伝え聞いたことについて、いろいろな受け止め方があったことが書いてあります。その話を不思議に思った、という人たち、マリアのように、それらの出来事をすべて心に納め、思い巡らした人たち。救い主が信じられない人、信じてみようとする人・・・。私たちもかつてはそうだったのではないでしょうか。イエスさまの話を聞いても信じられなかった。それが信じることができるようになった。神さまは私たちに信仰を与えてくださいます。まずは求めてみましょう。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
羊飼いたちは、自分たちのために救い主がお生まれになった!このことを信じました。彼らは神さまを礼拝し、賛美しながら自分たちの生活の場へと帰って行きました。
世界で最初のクリスマスは静かなクリスマスでした。しかし、羊飼いたちの心にともし火が灯ったのです。それは救い主イエスさまが一緒に歩んでくださるということです。先ほど、読んだ聖書の言葉に「主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるため」とありました。豊かさとは何でしょうか?救い主イエスさまと一緒に歩んでいく時、その豊かさを知ることができます。イエスさまによって本当の豊かさを知ることができますように。救い主を私たちの心に、人生にお迎えしましょう。
祈り
恵み深い主なる神さま
今日はクリスマスの礼拝を行いました。天使が羊飼いたちに大きな喜びを告げました。その大きな喜びとは救い主があなたがたのためにお生まれになった、ということでした。「民全体」、「あなたがた」、それは二千年前のユダヤの民だけのこと、羊飼いたちだけのことではなく、私たちのことです。私たちに与えられた大きな喜び、私たちのために救い主がお生まれになったことを心から感謝します。
羊飼いたちは救い主を喜び、人々にお知らせしました。私たちも救い主を喜び、人々にお知らせする者としてください。そして、どうか、一人でも多くの方々がこの私のために救い主がお生まれになったことを知り、その心に、その人生にお迎えすることができますように。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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